5.信心をめぐっての論争

 法然上人に入門した親鸞聖人は、念仏の教えを深く信じ、会得されていかれます。

 あるとき、信心について弟子たちの間に議論が起こりました。「信心諍論(じょうろん)」と呼ばれる出来事です。親鸞聖人は、当時まだ善信(ぜんしん)と名乗っておられました。

親鸞 「法然上人のご信心と、私の信心は、いささかもかわるところはなく、同じものです」
高弟 「なんと申した、善信。お前の信心とお師匠様の信心が同じであるはずがないではないか。そなたは、なんと不遜なことを申すのだ」
親鸞 「確かに智慧、才覚において法然上人と並ぶ者などないでしょう。私はそれを同じだと申しているのではありません。ただ信心は己の力量によって生み出すものにはあらず。阿弥陀如来の願い、本願によって生まれる信心に、誰彼の違いはないはずだ、と申し上げているのです」
高弟 「こやつ、まだ言うか」

 法然上人の高弟たちは口々に非難します。それでも親鸞聖人は自説をまげません。

高弟 「ならば、お上人さま直々に裁定を仰ぐしかないわ」

法然 「源空が信心も、如来より賜はりたる信心なり。善信房の信心も、如来より賜はらせ給ひたる信心なり。されば、ただ一つなり(私の信心も、善信房の信心も、みな阿弥陀如来よりたまわった信心なのです。たまわった故に、この他力の信心は、いかなる善悪の凡夫も、ともに等しく同じもの。そうお心得なさい)」(『歎異抄』聖典p639

と、そのように法然上人は、親鸞聖人を支持されたそうです。