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4.法然上人のもとへ

親鸞 「万民に開かれた往生浄土の道…。そうだ、あの方のもとを訪ねてみよう」

 ここに親鸞聖人は、京の街で浄土の教えを説き広められている法然上人のもとを訪ねることを決意されます。

 法然房源空、いわゆる法然上人は浄土宗の開祖です。「智慧第一の法然房」と褒め称えられながらも比叡山と決別し、東山のほとり、吉水(よしみず)の草庵で、一切衆生が救われる仏の道をただひたむきに説き広めている念仏者でした。法然上人の説く念仏は、ひたすら念仏一つに専心することから、専修(せんじゅ)念仏といいます。

 その法然上人の吉水の草庵へ、親鸞聖人は百日の間来る日も来る日も通い続け、教えを受け取ろうと聞法なされました。

親鸞 「男も女も、身分も関係なく、なんと大勢の人びとが…」
民A  「おぉ、法然さまのお話が始まっとる」
法然 「どのような者であろうと、人間であって凡夫(ぼんぶ)でないものがいるであろうか」
民A  「なぁ、凡夫いうんはなんのことや」
親鸞 「凡夫とは煩悩にとらわれ、自らにとらわれ、苦しみもがく者のことです。そう、私のように」
民B 「そうじゃ、凡夫とはそなたたちのことぞ」
民C 「うちらもあんたも、みな凡夫じゃわい」
民B 「何を申す。そなたたちと一緒にするでない」
民C 「念仏を称えれば、みな平等。阿弥陀様のもとでは、みな一緒じゃ」

民C 「比叡の山の坊様たちはえらく修行を積まれとるらしいが、うちらの助かる道は説いてはくださらん。あんたもそうか」
親鸞 「あ…、いえ…」
民C 「法然さまの“ただ念仏”の教えが、うちらにとって唯一の救いなんじゃ」
親鸞 「そうか、私だけではない。みんな救いを求めてもがいているのだ。全ての衆生が、みな共に救われていく道…」

法然 「私も、迷いを超えてゆく道を尋ねれば尋ねるほど、器にあらざる己の身が明らかになるばかりでした」
親鸞 「これほどのお方であってもそうなのか」
法然 「難行(なんぎょう)、苦行(くぎょう)のかなわぬ愚かな身にこそ、念仏による救いがあるのです。よろしいですか。ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。隔て無き救いは、そこにのみあるのです」
親鸞 「あぁ、正にこれこそが、私が求めていた道だ」

雑行(ぞうぎょう)を棄てて、本願に帰す
(『教行信証』聖典p399

親鸞 「己の小ささを受け入れよう。そして、自らの力を頼りに救われんとするあまた数多ある修行の道を棄て、阿弥陀如来が救い取ろうとしてくださる願いを頼りに、生きる勇気をいただこう。私にはそれしかない」

 親鸞聖人の心は定まりました。

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