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11.山伏弁円済度

 しかし念仏を受け入れる者があれば、それを否定する者もあります。それは京の都でなくとも同じでした。
 加持祈祷で地域の人びとの信仰を集めていた山伏の弁円(べんねん)は、やはり念仏の教えを邪教とみなし、親鸞殺害という強硬手段に出ます。

弁円 「出てこい、親鸞。板敷山の弁円が天誅を下してやる」
親鸞 「これはこれは。まあ、どうぞ、こちらへ」
弁円 「な、なにぃ。俺はお前を殺しに来たのだぞ」
親鸞 「どの様なかたちであれ、命は縁が尽きれば終わるもの。私のごしょう後生は阿弥陀如来にお任せしています。それよりも私は、今日、あなたが私を訪ねて来てくださったご縁を大切にしたいのです」
弁円 「う?む。ならば聞こう。努力精進もせず悟りもなしに救いを求める念仏の、どこが仏教と言えるのだ」
親鸞 「自分で自分を救うことは出来ません。救いは与えられるもの。分け隔て無い世界に、共に生きていこうと願う中にこそ見いだせるものなのです」
弁円 「共にと申すか。ならばお前を殺しに来たこの俺であってもか」
親鸞 「ええ、共にです」
弁円 「あぁ、なんと広い世界があったのだ。親鸞どの、どうかこの私を弟子にしてくだされ」

親鸞は弟子一人ももたずそうろう
(『歎異抄』聖典p628

親鸞 「私が誰を導いたのではなく、それぞれに阿弥陀如来との縁が実るのです。ですから私には弟子など一人もいません。私もあなたも共に同じ教えに生き、お念仏申す御同朋(おんどうぼう)、御同行(おんどうぎょう)ですよ」
弁円 「はーっ」

 弁円改め明法(みょうほう)房のように、様々な出会いの中で多くの御同朋、御同行が誕生していきました。そして性信(しょうしん)、真仏、顕智(けんち)といった優れた念仏者が育ち、彼らが念仏を説き広める姿を見た親鸞聖人は、62歳という老齢に達したこともあり、生まれ故郷の京へお帰りになられたのでした。

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