比叡の山には救いはないのか。道を見失いかけた親鸞聖人は、聖徳太子の建立と伝えられる六角堂へ、百日の参籠を志されます。
最初に日本に仏教を迎え、世俗にありながら深く仏法を敬い、世のために自らを捨てて生きられ尊いお方、聖徳太子に導きを求められたのです。親鸞聖人29歳のことでした。
親鸞聖人は問いつづけました。
親鸞 「煩悩に溺れ、それを克服できない弱き私はどうすればよいのでしょう。このような私でも、生きる意味、生きる勇気が欲しいのです」
そして、参籠して95日目の暁、夢の中に親鸞聖人は、救世(くせ)観音菩薩の声を聞きます。
『行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽』
「志を持つ者よ、人であるが故に戒を破らざるをえない生活の中に仏道を開くのです。私があなたの妻となりましょう。そして、生涯あなたに寄り添い、必ずや極楽浄土へ導く救いの力となりましょう」
親鸞 「…はっ。今のは夢か。いや、そうではない。仏道は限られた者だけのものではない。戒律を守れぬような者、そう私にも歩める仏道はあるのだとお示しくださったのだ」